会社案内ご利用ガイド旅行約款旅行条件書等サイトマップ
営業時間と電話番号
チリ(イースター島)
トップページ > イースター島特集>地図イースター島の見どころ基本情報ツアー・航空券情報イースター島ツアー一覧

■イースター島の全体地図 /                            ◎衛星地図をみる

チリ(イースター島)全体地図

■イースター島のみどころ

イースター島(Easter Island)-イスラ・デ・パスクア(Isla de Pascua)

ラノ・ララク アフトンガリキ アフトンガリキアフアキビ

南米大陸から3700km、タヒチから4000km離れた絶海の孤島。現地ポリネシアでは現在「ラパヌイ」とも呼ばれ、「世界で一番遠い島」の異名を持つこの島には独自の文明が栄え、世界的に有名な石像建造物「モアイ」をはじめ、未だに解読されていない文字「ロンゴ・ロンゴ」、無数の岩絵を残した「鳥人儀式」等、他では見られない不思議で溢れている。18世紀にヨーロッパ人が「発見」するまでの記録がないため、その殆どは謎に包まれたままでとてもミステリアスな島である。

周囲が60km弱と、とても小さな島だが、その中にモアイが約900体もある。その半数近く、約400体が集まるラノ・ララク(Rano Raraku)は必見。モアイの切り出し場として知られ、彫っている途中のものや完成して運び始めたもの等、今もそのままの状態で残されている。日本の建設会社(四国・高松のタダノ)が修復に携わった島内最大級の祭壇、トンガリキ(Ahu Tongariki)も見逃せない。復元されたモアイは全部で40体程だが、そのうちの15体、6〜8mのモアイが整然と並ぶ姿はまさに圧巻。

またイースター島では自然の雄大さも味わうことができる。鳥人儀式が行われていたオロンゴ(Orongo)からの眺望、直径1500mもある巨大なラノ・カウ(Rano Kao)の火口、無数にある洞窟等、これらも外せない見所である。車では入って行けない部分も多いため、馬を利用して現地人に案内して貰うのもいい。

島を囲む海は世界一澄んでいると言われ、ダイビング、サーフィンなどのマリンスポーツも盛んである。海水浴を楽しむにはヤシの木が生える白い砂浜のアナケナ海岸(Playa de Anakena)がお勧め。年間を通して島の海水温はそれほど上がらず、強い夏の日差しの下では心地良く感じる。
イースター島にはどうしてモアイがあるのか?それさえもまだはっきりとはわかっていない。最大の魅力は何と言っても神秘のヴェールに閉ざされたイースター島そのものではないだろうか。

イースター島の歴史

アナケナ海岸 アフタハイ ラノカオ オロンゴ

イースター島の起源は、遠い昔に太平洋の中に沈んでしまったパシフィス大陸の一部であったという説、イースター島の文化はオセアニア・メラネシア諸島からきたという説、巨石建造物で有名な南米のティワナコ文明・インカ文明とのつながりからフンボルト潮流と貿易風により南米からきたという説など様々な説があるが、これといった決め手となる証拠はなく、いまだ謎に包まれている。
1722年オランダ海軍提督のヤコブ・ロッヘフェーンが3隻の船でこの島に上陸。その日がキリスト教の復活祭にあたっていたため、イースター島と名づけられた。
1770年当時ペルーを治めていたスペイン副王が、この島に目をつけ英国、フランスに先駆けて自国の艦隊を送り、その指揮下においた。スペイン人船長はドン・フェリペ・ゴンザレスで島を「サン・カルロス島」と命名。
その後、英国のキャプテン・クックが1774年に上陸。クックの日記に当時の様子をこのように記している(「この島の住民の容姿、言語、生活習慣に関して、フィジー、タヒチなど西方の島民と共通性があり、同じ祖先を持つと思われる」)。重要なことは、52年前のロッヘフェーンが記録した島の様子では、モアイはまだ引き倒されていなかったという点である。クックが上陸したころにはすでにモアイ像は倒されており、外国人の来訪が島民の生活や宗教儀式に影響を及ぼしていたと想像できる。
19世紀に入ると捕鯨船や真珠採取船などの欧米の船が多数上陸するようになる。そして1862年に悲劇が起きる。ペルーで盛んに行われていたリン鉱石の採掘人夫の調達として、このイースター島の島民が奴隷狩りの対象となった。
その数1000人といわれ、各国から非難をうけ1年後に奴隷解放するも過酷な重労働ですでに900人余りが死亡。残り100人は帰還する船の中で蔓延した天然痘に罹患して、大半が死亡。最終的にはわずか15人程度が生還したといわれている。奴隷として連れ去られ死亡した中には、もちろん王やその身内、神官なども含まれており、島の貴重な文字、ロンゴロンゴを読める人はその後いなくなったという。
1865年タヒチから来たフランス人実業家が島の王族の娘と結婚し、島を自分の支配下に置いたが、のちに暗殺され、その後引き継いだフランス人実業家が島を解放した。
1888年チリ(戦艦艦長ポリカルポ・トロ・ウルタド)がイースター島の領有宣言を行い、以降スペイン語の「イスラ・デ・パスクア」と呼ばれることになる。
2つの世界大戦後、1966年に島の自治が認められ、1967年以降観光地としての道を歩み始める。


トップへ戻る

■イースター島の基本情報

■イースター島の気候は?

亜熱帯性気候で雨季と乾季がある。乾季の平均気温は26度だが、日中は30度を越える日も少なくない。雨季は5月〜10月にかけて、平均気温は18度前後と暑さは和らぐものの、毎日のように雨が降る。

■チリの通貨は?

通貨はチリ・ペソ。日本円の両替ができるところは少ないので、日本からは米ドルの現金またはT/Cを持って行き、現地通貨に両替をして使用します。

■イースター島のツアー&航空券情報

イースター島方面(一覧) 


 

航空券情報CODLCMTA|         

アフリカ方面中近東・アジア方面中南米方面

トップへ戻る
取り扱い方面:<アフリカ>ケニア・タンザニアエジプトリビアチュニジアアルジェリアモロッコ、マリ、エチオピアマダガスカル、モーリシャス、セイシェル、南アフリカ、ボツワナ、ジンバブエ、ザンビア、ナミビア<中近東・アジア>イエメン、オマーン、ドバイ、イランシリア、ヨルダン、レバノン、イスラエル、トルコ、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタン、カザフスタン、インド、ネパール、スリランカ、パキスタン、ブータン、ミャンマー、ラオス、カンボジア、中国<中南米>キューバメキシコグアテマラ、ホンジュラス、コスタリカコロンビア、ベネズエラ、エクアドルペルー、ボリビアチリ、アルゼンチンブラジル、南極クルーズ
会社案内(MAP)ご利用ガイド海外旅行傷害保険旅行約款旅行条件書等個人情報保護方針サイトマップ
株式会社旅人舎・クオリアス事業部
〒160-0023 新宿区西新宿1-3-3 品川ステーションビル新宿6F
Copyright(C)2007 RYOJINSHA Co.,Ltd. All rights reserved.
QUALIA-EARTH.COM
お問合せはこちら
営業時間